行動経済学の名著「予想どおりに不合理」は、あなたの思考や行動がいかに合理的じゃないか、というのを教えてくれる。
行動経済学とは、心理学にお金を絡めたようなもの。学んでみると、実に面白い!
節約を決めたあなたは、本当に合理的な選択をできるのか?将来の安定を信じて就いた仕事は、本当に安定をもたらしてくれるのか?賢いあなたは、お金を合理的に考え、扱うことができるのか?
人間の思考や行動は、予想どおりに不合理。あなたの「間違い」は、容易に予想できるもの。
あなたは常に合理的なわけじゃない
賢いあなたは、合理的に行動できるかもしれない。しかし、「常に合理的」とは言い難い。人間なんて、そんなもの。
「これは安い買い物だ!」なんて思い、ウキウキ気分である商品を買ったとしましょう。
ここで、「なぜそれを安いと思ったのか?」ということが大切。もしかして、定価に比べて遥かに安かったから?周りにあった同じような商品に比べて安かったから?
提示されたいくつかの商品の価格に、「おとり」となるようなものがあったから、「安い」と思えたんじゃないのか?
「予想どおりに不合理」の中では、実際に行った様々な実験の結果と、検証が書かれている。それを読んでいると、「自分にも心当たりが・・・」なんて思ってくる。
人間なんだから、考える。人間なんだから、思い込む。人間なんだから、勘違いする。考えることができるからこそ、人間は不合理な行動を取ってしまうのかもしれません。
お金の使い方は合理的ですか?
消費者というのは、なかなか賢いもの。割としっかりした観点でお金の使い方を決めていく。そう言われることもある。
しかし、有意義なお金の使い方を自分でわかっているはずなのに、「浪費」とも呼べるようなお金の使い方をしてしまうこともある。
3万円あれば、行きたかった場所に旅行に行ける。それだけあれば、欲しかったタブレットを買える。
それなのに、ふと夜の街に繰り出し、遊んでしまうこともある。すると、「仕事でストレスが溜まってたんだから、この出費は必要だったんだ!」なんて正当化され、夜の街で使ったお金は「合理的な判断」として処理される。
これは、他のことでも言えますよね。バーゲンで買ってしまった着る機会のほとんどない服、衝動的に買ってしまった娯楽品やアクセサリー、高級なお菓子などなど。
普段は、「こんなものは無駄遣いだ!」とわかっているのに、いざその無駄遣いをすると、「この判断は正しかった」と自分の中で正当化され、合理化される。人間の思考力は凄まじいですよね。
貯金にまつわる不合理な選択
「将来のためには、できるだけ貯金しておいたほうがいい」なんて、大抵の人なら理解していること。それなのに、貯金できない人もたくさんいる。
頭の中では、「貯金は合理的な選択」だとわかっている。しかし、ふとした誘惑に駆られると、貯金するはずの金額を浪費に回してしまう。
それでは、将来の安定が損なわれるかもしれない。頭ではわかっているんだけど、使ってしまう。やがて、「今は貯金するよりも、人生を楽しんだほうがいい時期だ!」みたいに正当化され、本当は「不合理な選択」だったはずのものが、「合理的な選択」にすり替えられていく。
「貯金しましょう」とか「貯金はしたほうがいい」といくら言っても、そんなものは届かないのかもしれません。頭では理解できても、その頭が、「貯金しなくてもいい」という理由を作り出し、正当化してしまう。
「これが正しい!」と思い込むことは、意外と簡単。ただ、その思い込みが間違いだと気付くことは、なかなか難しい。
将来の安定は本物か?
「いい会社に就職すれば、将来は安定する」とか「正社員にならないと、不安定を人生を送ることになる」と言われますよね。
ではなぜ、これほどリストラに絶望したり、「お金を稼ぐ方法」を求めて四苦八苦する人が多いんでしょうか?
正社員になれば、いい会社に就職すれば大丈夫だったんじゃないのか?言うとおりにしたのに、安定した生活が見えてこないなんて・・・。
この問題の答えって、意外と単純。
人は、「これはいいもの」なんて最初に言われると、実際にそれに触れたときに、「お、いいものだ!」なんて思い込む傾向があるそうです。
つまり、「こうすれば将来は安定する!」なんていうのも、周りから吹き込まれて、根拠もなく思い込んでいる可能性が高いんです。
なかなか面白い人間の心理
「あいつは仕事ができて、気さくで明るい、最高の奴だ!」なんて複数の人に吹き込まれてから、その人に実際に会ったとする。そうすると、たいして知りもしないのに、「この人は仕事ができて、気さくで明るい、最高の奴だ!」という見方をしてしまうので、実際にそう見えてしまう。その人が、裏で黒い顔を持っていたとしても。
目の前にステーキがあるとします。「このお肉は、国産で流通量の少ない、最高級のお肉です!」なんて言われてからステーキを食べるのと、何も説明されないでステーキを食べるのでは、感想が違ってくる可能性が高い。
「最高級のお肉です!」なんて言われると、食べた後には「いやー、やっぱ最高級のお肉は違うな!」と大絶賛!しかし、何も説明されないで食べると、「いやー、なかなか美味しかったけど、まずまずかなぁ。」なんて言い出すかもしれない。
実は、セールスの世界では、こういう心理を活用した手法が結構ある。
あなたがスーツを選んでいるとき、「このスーツは、素材が滑らかで、とても着易いんですよ!」なんて言われてから着てみると、何となくそんな気がしてくる。
「この車は、お客様のような立場の方なら、絶対に乗っておいたほうがいいものですよ!」なんて言われると、買う気のなかった高い車を買ってしまうかもしれない。
「家族のことを思うなら、この保険には入っておくべきです!」なんて言われると、何となくそんな気がしてくる。
「今は株価が上がってますから、この投資信託もいい投資になりますよ!」なんて言われると、ついつい買ってしまう。
人間は、言われたことを認識してしまい、そのメガネをかけて物事を見てしまう傾向があるよう。例え、そのメガネが間違ったものを映すメガネであっても。
思い込みが不合理へと導く
人間って、結構思い込みが激しい。無駄遣いにしても、貯金にしても、「これでよかったんだ!」と無理矢理思い込んでしまうことがある。
理屈で考えて、貯金したほうがいいことはわかる。浮気しないほうがいいことはわかる。ただ、理屈的に間違った行動へ向かおうとするとき、新たな理屈を生み出し、思い込み、合理化してしまう。
そう、自分は間違っていないんだから、自分は正しいんだからと。
しかし、それで不本意な結果、残念な結末を招いては、元も子もないですよね。後悔したところで、過去は変えられませんし。
もしかしたら、貯金用の口座を作ったところで、その思い込みは止められないのかもしれない。「お金がないから仕方ない」なんて思い込めば、貯金はすぐに減っていきますし。
では、不合理さへの対処法はないんでしょうか?
もしそんなものがあるとしたら、「自分は思い込んでいる」と思い込むことかもしれません。可能性や選択肢は一つじゃない。そして、自分の行動は常に合理的なわけじゃない。
一つの視野に囚われず、多くの視野をできるだけ持つようにする。間違ったことを思い込んでいるとき、広い視野を持っていれば、別の選択肢を選べるようになるかもしれません。
自分の不合理さに気付き、多くの視点から考えようとすることが、不合理さと仲良くなっていくための選択かもしれない。
まあ、それでも不合理な行動はなくならないでしょうけどね。